お知らせ・ご挨拶など

サラワク州アバン・ジョハリ首相「旭日重光章」叙勲

日本マレーシア協会は、一九九五年よりボルネオ島・サラワク州において熱帯雨林再生の植林活動を行い、本年で三十周年、来年で植林本数が百万本に達します。二〇一六年と二〇一八年には本協会の熱帯雨林活動地域二か所がそれぞれ保護林から国立公園へ昇格が認められ、二〇一九年には植林活動に関してサラワク州政府と協力協定を締結し、サラワク州政府並びにサラワク森林局・サラワク森林公社等の関係機関と協力して活動を進めております。

また、二〇二一年からは日本国外務省が政府開発援助(ODA)資金をODA政策の内容に沿う経済社会開発事業に対して供与する「日本NGO連携無償資金協力」(以下、N連)を活用して、「サラワク州先住民居住地域における水環境整備による生活改善事業」を行って参りました。

本年で三十周年となる本協会の熱帯雨林再生活動にはマレーシア・サラワク州アバン・ジョハリ首相より長きに渡り深い理解と協力を頂戴していたところ、この度ジョハリ首相が二〇二五年十一月十一日(火)に日本国天皇陛下より「旭日重光章」の叙勲をお受けになりました。

叙勲に際しまして、本協会は二〇二五年十一月十日(月)に本協会が主催でジョハリ首相の「叙勲祝賀会」を帝国ホテル東京・扇の間にて開催いたしました。マレーシア側からは、サラワク州アバン・ジョハリ首相、シャフリル駐日マレーシア大使、サラワク州首相府キール首相主席秘書官、サラワク州森林局ハムデン長官、同ハピスピナ副長官、サラワク州首相府チェン報道官、ジョハリ首相御子息、ニザム首相警護官がご出席になりました。

日本側からは、日本マレーシア協会古屋圭司会長(及び渡辺一博秘書)、日本マレーシア協会有村治子副会長(及び渡部桃子秘書)、日本マレーシア議員連盟宮下一郎事務局長、外務省南部アジア部宮本新吾部長、外務省南東アジア第二課井土和志課長、同平島周作課長補佐、在コタキナバル領事事務所中筋寿樹領事、日マ経済協議会永野毅会長(及び松浦基文秘書)、株式会社木下グループ木下直哉社長(及び寺岡李恵秘書)、株式会社ジェイエイシーリクルートメント田崎ひろみ会長兼社長、同田崎忠良最高顧問、三菱商事株式会社國廣元LNGアジア・パシフィック本部長、同野口智史マレーシア事業部総括マネージャー、日本マレーシア協会小川孝一理事長、同新井卓治専務理事、同西田重信監事、同小泉文明理事、同江上一郎理事、同森林高志理事、同小菅雄磨理事補、同酒井和枝在サラワク州現地コーディネーター、の面々が出席いたしました。 

叙勲にいたる経緯や祝賀会の様子など、一連の出来事を本協会の視点よりお伝えいたします。

はじめに

日本マレーシア協会の小菅です。この度は、マレーシア・サラワク州アバン・ジョハリ首相が「旭日重光章」を綬章しました。ジョハリ首相は長年本協会の活動をご支援くださっている方なので、この度の叙勲をお受けになったことは本協会としても嬉しく思っております。また、昨年二〇二四年八月二十日には本協会有村治子副会長がサラワク州首相府にてジョハリ首相へ表敬訪問をいたしましたので、今回は約一年ぶりに日本の地で叙勲という名誉あることにて再開が叶いました。ジョハリ首相が祝賀会へ到着されたとき、有村副会長へ「Nice to see you again!」と笑顔でお声掛けされていたことも印象的でした。

この祝賀会では、日本マレーシア協会とその熱帯雨林再生活動を長くご支援くださっている企業の代表者、そして日本国外務省や経済界の代表者たちがジョハリ首相の叙勲をお祝いいたしました。祝賀会には現地メディアも多数入り、終了後すぐにテレビやネットニュースなど現地メディアで広く報道されました。

そんな祝賀会ですが、実際にジョハリ首相が日本国天皇陛下から叙勲をお受けになる日程等が確定しないと祝賀会の調整をすることも出来ず、中々慌ただしい中での主催でしたが、ジョハリ首相をはじめ多くの要人にご臨席をいただくことが叶いました。ジョハリ首相も叙勲に合わせて急遽プライベートジェットで来日され、今更ながら余裕のないスケジュールの中でよく出来たものだと思っているところです。また余談ですが、ジョハリ首相の公式な場における正式なフルネームが”Datuk Patinggi Tan Sri Abang Johari, Premier of Sarawak,  (ダト・パティンギ ・タンスリ・アバン・ジョハリ, プレミア オブ サラワク)”と少々長めのため、登壇された方々が間違えないよう苦心されていたことも印象的でした。  さて、その祝賀会についてお伝えする前に、まずは今まで何度も口にしている「サラワク州」がどのような場所なのかを改めて再確認し、その上で同州ジョハリ首相がどのような人物でなぜ叙勲をお受けになったのかを本協会の視点から見て参ります。その後、祝賀会の様子をお伝えいたします。

サラワク州について

サラワク州はマレーシア最大の州で国土の約四割を占め、人口約二五一万人(二〇二三年)で在留邦人数は一七一人(二〇二四年一月時点)です。

 サラワク州では、液化天然ガス(LNG)、原油、パーム油が総輸出の七二%を占めており、サラワク州の輸出相手国は日本が首位(総額で約二〇七億リンギット・約七六〇〇億円)で、日本がマレーシアから輸入するLNGの九一.五%がサラワク州で生産されています。

歴史的には、現在のサラワク州が位置する地域からは約四万年前の人骨が発見されるなど古代から人類が暮らしており、近代では十九世紀半ばにイギリスの冒険商人ジェームズ・ブルックがサラワク地域の先住民同士の争いを鎮圧したことで、当時地域を治めていたブルネイ王よりサラワク王(白人王)に任命され「サラワク王国(1841-1946)」となり、今のサラワク州の原型が形成されました。

日本との関係では、一九世紀末に依岡省三(1865~1911)がサラワク国王にゴム園の経営を提言し、農園の租借権を得て株式会社日沙商会を設立。同社は、ゴムの栽培から製造まで一貫体制を構築しました。その後、日沙商会は日本とサラワク王国との貿易に尽力し、昭和四年、日沙商会の企画・立案でサラワク国王夫妻の来日が実現しました。これをきっかけに沖縄からの米作移民が入植し(入植地の生活が厳しく、移民は戦前に引き上げた)、日本とサラワクの交流はこの頃から始まったと言えます。

その後、第二次世界大戦時の日本軍占領と同時にサラワク王国は消滅、戦後はイギリスの直轄領となりました。その後、一九六三年にマラヤ連邦(一九五七年に独立した現在のマレーシア半島部)、北ボルネオ(サバ)、シンガポール(二年後に離脱)と共にサラワクはマレーシアを結成して現在に至ります。 しかし近年、国政でのサラワク州の存在感の高まりから、連邦政府との間で、マレーシア結成時の協定に基づくサラワク州独自の権利を回復していこうとする動きが活発となっています。こうした政治的な側面からも、天然資源を持つ経済的な側面からも、マレーシア連邦へ加盟した歴史からも、サラワク州はマレーシアの中でも特に自治色の強い州と言えます(例:連邦政府と州政府間の石油ロイヤルティ比率引上げ交渉、州が所有する独自の石油会社・銀行・大学の設立、州首相名を植民地時代からのChief MinisterからPremierに変更など)。

ジョハリ首相について

一九四九年八月六日、サラワク州リンバン生まれ。父は独立後の初代サラワク州元首。曾祖父は「サラワク王国」以前の地域統治者で、サラワク州のイスラム教徒マレー人社会の名家の子孫です。サラワク州の学校を卒業後はマレーシア航空で勤務し、その後は英国のブルーネル大学で経営学修士を取得しています。 一九八一年にサラワク州最大政党のサラワク統一ブミプトラ党(PBB)から州議会議員に初当選し、現在九期目。州の主要ポストを歴任し、二〇一七年一月に当時のアデナン首席大臣逝去に伴い、PBB党首と州首席大臣(州首相)に就任しました。サラワク州議会議員及び首相として、同州の発展に注力する政治家ですが、二〇一八年の国政選挙後に結成されたサラワク政党連合(GPS)の会長として、州議会議員だけでなく、州選出連邦議会議員団を束ね、二〇二二年の国政選挙でGPSは二三議席を獲得(州内の定数三一)し、国政における与党連合形成に大きな影響力を持っています。ジョハリ首相本人は連邦政府内閣には入りませんが、GPSからサラワク州選出議員初の連邦政府副首相が生まれています。マレーシア連邦における国政選挙においては、当分過半数を獲得できる政党連合がなく、GPSは次回の国政選挙以降も与党連合形成のカギとなる存在であり続けることが見込まれます。サラワク州の石油会社ペトロスの代表でもあるジョハリ首相は、マレーシア連邦政府内でも重要な存在です。

叙勲にいたる経緯

以上の「サラワク州」と「ジョハリ首相」を概観したうえで、この度の叙勲にいたった経緯を本協会の視点からお伝えいたします。

一九九五年に本協会がサラワク州で「熱帯雨林再生事業」を開始した際、「ジョハリ首相」は産業開発大臣を務めていましたが、当時は州の経済発展のためにアブラヤシ農園の開発が進んでいた時期であったため、自然保護と産業開発のバランスをとるために、植林活動地域について州政府内で協議し、現在の本協会活動地域が選定されました。その後、三〇年間にわたる本協会による熱帯雨林再生の植林活動は一貫して「ジョハリ首相」の理解と協力によって前進してきました。

本協会は二〇〇〇年以降、毎年サラワク州への親善使節団訪問を実施し、熱帯雨林再生の植林活動やオランウータン保護区の見学、クチン市内の歴史的観光地訪問などを行ってきました。その際に「ジョハリ首相」は二〇〇〇年から二〇〇四年と二〇一一年から二〇一六年に観光大臣を務めており、本協会の親善使節団訪問時に観光省として様々な協力をいただきました。また、この時期に、本協会が「ジョハリ首相」と協議し、「ジョハリ首相」の協力で日本の大学から観光省へのインターン派遣が始まり、日本の青年の海外での就業体験に大きな貢献をいただきました。

二〇一六年一二月、本協会による熱帯雨林再生の植林活動地の一つであるアペン保護林(約1,100ha)が国立公園へと昇格しましたが、その決定に際して当時副首相だった「ジョハリ首相」より大きな協力を得ました。それにより本協会が植林した木が法的に永遠に保護されることになり、何人による伐採からも守られることになりました。

二〇一八年八月、本協会による熱帯雨林再生の植林活動地の一つであるサバル保護林の一部(約4,700ha)が国立公園へと昇格しましたが、その決定は首相に就任していた「ジョハリ首相」が行いました。

二〇一九年一月、サラワク州は森林保全政策として”Forest Landscape Restoration Program”を発表し、同政策に基づいて同年六月に「ジョハリ首相」の主導により本協会とサラワク州政府が協力協定を締結しました。二〇二二年六月には同協定を更新することも出来ました。

二〇二四年八月、本協会の有村治子副会長、小川理事長らがサラワク州の州都クチンにあるサラワク州首相府にて「ジョハリ首相」を表敬訪問し、二〇二五年に迎える熱帯雨林再生活動三十周年へ向けての協力などについて協議しました。この際には「ジョハリ首相」より、本協会のこれまでの活動に敬意を表し、サラワク州としてこれからも全面的に協力するとの意向が表明されました。

加えて、上述で種々お伝えしている通り、昨今の国際情勢の中でマレーシア・サラワク州が政治的にも経済的にも日本国にとって重要なパートナーであり、ジョハリ首相がそのサラワク州とマレーシア連邦にとって非常に重要な存在であることは言うまでもございません。こうした事情を総合的に考慮して、今回の叙勲にいたったのだと本協会は理解しております。

ただ、当然ながら叙勲は日本国政府が決定するもので、枚挙にいとまがない中で何が叙勲へいたる理由であったかは本協会で図りかねます。しかし、本協会の視点からはジョハリ首相のご支援なくして熱帯雨林再生事業のここまでの発展はあり得ず、本協会が推進してきた日本とマレーシアの友好親善は成しえなかったです。  こうした中で、この度ジョハリ首相が「旭日重光章」を綬章されたことは、今後の日本とマレーシアの友好親善を更に強固なものとする際に大きな一助となることでしょう。

叙勲祝賀会について

祝賀会は二〇二五年十一月十日(月)に帝国ホテル東京・扇の間で開催し、出席者の予定を踏まえて午前十一時十五分から開始しました。日本側の出席者とサラワク州森林局、サラワク州現地メディアは開始時刻少し前に現地着し、ジョハリ首相らサラワク州首相府の方々をお待ちしました。  ジョハリ首相がこれから到着する報に触れた際はサラワク州側を中心に出席者各位へ緊張が走ったように感じましたが、実際に会場入りされた際は昨年サラワク州首相府で会っている有村副会長や小川理事長らを始めとして出席者へ笑顔で挨拶をしていました。

祝賀会は本協会新井専務理事がマレー語で司会進行を行い、本協会古屋会長の祝辞、外務省南部アジア部宮本部長の祝辞、日マ経済協議会永野会長の祝辞、の順で進行いたしました。

祝辞を述べる本協会古屋会長

皆様からは、ジョハリ首相の長きに渡る献身的なご支援への感謝と、サラワク州が日本国において重要なパートナーであり今後も変わらぬ友好を願う旨、そしてこの度の「旭日重光章」の叙勲をお受けになったことへ深い敬意と祝意を述べられました。 その後、ジョハリ首相より答辞を頂戴いたしました。ジョハリ首相からは、まず温かいおもてなしへの感謝と、祝賀会へ我々が出席したことは単なる儀礼的なことではなく過去数十年にわたる誠実な相互尊重をもって育まれてきた友情の再確認である旨が述べられました。そして、日本マレーシア協会が日本とサラワク州の心と生活を結ぶ重要な架け橋となっており、共に協力して活動して来年で百万本となる熱帯雨林再生は世界が注目して学ぶことができるモデルケースを創出できる旨も述べられました。

答辞の後はサラワク州森林局より記念品の受け渡しがあり、終始笑顔かつ和やかに進行しました。最後に本協会有村副会長より乾杯の音頭があり、軽食とソフトドリンクを嗜みつつ歓談に移りました。この祝賀会は本協会を中心とした関係者のみの席、各テーブルどこも固い雰囲気などなく和やかに交流がなされておりました。

さいごに

本協会はサラワク州において熱帯雨林再生事業を三十年継続し、来年には百万本に達し、活動は新たな節目を迎えています。単に植林本数を拡大するだけではなく、この三十年で達した百万本を適切にメンテナンスして維持管理していくことが熱帯雨林再生において重要になります。ジョハリ首相も仰っておりましたが、アジアの熱帯雨林が世界の「モデルケース」となるよう、今後も信頼と協力を醸成して前へ進んで参ります。

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